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令和元年、5月恒例のロングツーリングキャンプレポート!=2/9=

瀬戸内の島々をキャンカーで巡るクルージングキャンプ旅!5月10日(金曜日)〜12日(日曜日)

《《 この旅のスケジュール表 & 地図は、こちら!》》

 


2019年(令和元年)5月10日の、くるま旅レポート HOME


AM07:00 ⇒ 名古屋に一番近い道の駅は、「道の駅:瀬戸しなの」でした。

走行中に「あっ!こんな所にある!」と、良く見掛けますが、夕暮れの必要な時に近くに無いのが道の駅!で、何処の街に行っても良く見掛けても、入りたい時に見つから無いのが日帰り温泉!ですね。
これはもう、こういう計画性のない行き当たりバッタリの旅をする人の共通の悩みではないでしょうか。
計画をしないのが悪い、それは自業自得といえばそれまでですが、意外と名古屋の近くには道の駅がないんですね。まぁ〜お世話になったここ、「道の駅:瀬戸しなの」も悪い処ではないんですが、こちらに来る人に車中泊にどうぞ!と、お勧めできるか?と言えば、う〜ん・・・と、悩みます。


AM09:00 ⇒「長久手古戦場跡」と、閉館にギリギリセーフだった「郷土資料室

朝一で「道の駅:瀬戸しなの」を出発してから20分ほど南下すると、「愛・地球博記念公園(モリコロパーク)」に突き当たり、「猿投グリーンロード」「愛知高速交通(リニモ)東部丘陵線」に沿ってそこを右折すれば、右手に大きな「トヨタ博物館」が見えてきます。
「トヨタ博物館」には本日行く予定ですが、その前にちょっと気になっている歴史好きにはたまらない「長久手古戦場跡」に寄り道したいんです。
「愛知高速交通(リニモ)東部丘陵線」に、「長久手古戦場跡」という駅がありますが、その駅前の大きなイオンモールの正面にその遺跡はあります。
ここもまた先日行ったあの「三方ヶ原古戦場跡」の様な感じかな?とも思いましたが、こちらはあちらよりもう少し予算をとってまして、小さな記念公園と少々老朽化してますが、「長久手市郷土資料室」なる施設もありました。
しかしながら、甲冑や火縄銃、棒火矢等々の貴重な資料の展示をしているこの「長久手市郷土資料室」は老朽化が進み、残念な事にこの5月いっぱいで閉館されるそうです。


AM09:30 ⇒ ここも今回の旅で是非来てみたかった目的地メニューの一つ、「トヨタ博物館」です。

「トヨタ博物館」は、発明時の自動車から現在の自動車まで、約140台の内外の実車を展示するもので、車のメカニカルな進歩の歴史や、その時代の流れが良く分かる様に時間軸に沿って展示されてます。
私のページでそれらの写真を載せるかどうかかなり迷いましたが、批判があればお知らせ下さい。
ここでは私の個人的な趣味で抜粋してその一部をご紹介しますので、興味を持たれた方は、是非現着に行かれ、本物をご覧になる事をお勧めします。また、掲載がNGな場合もお知らせ下さい。

失敗しました。やはり寄り道なんかせず朝一番でここに来ればよかったです。
「トヨタ博物館」の駐車場に入る時、玄関前に観光バスが数台止まっていたので今日は団体があるかな?と、思っていたんですが、嫌な予感は的中するものです。
入場ゲートに向かうと、入り口前でたむろしている団体客は日本語を話していません。
そうです。あの声の大きい人達、やたらと写真を撮りまくる人達、入ってはいけない所や乗ってはいけない所に平気で乗る人達、順番を守らない人達、・・・です。
でも良かった〜!彼らは団体のため、入場に少し手間取っている様です。大急ぎで先に入場しちゃいます。

どうですか?写真はホンの一部ですが、懐かしい車や憧れていた車なんかも有ったでしょう。
私も乗ったことの有る車や所有していた車、友人が乗っていた車、欲しかった車などがいっぱいありましたが、これだけ揃うと圧巻ですね。
トヨタ博物館のホームページには、140台あるという展示車の年代別メーカー別に詳しい情報や写真が載ってますので、興味のある方や、何かを調べたい方は、チェックしてみて下さい。

男のロマンや車マニヤにもいろいろありまして、ミニカー、カーバッチ、ポスターなどのコレクションも凄いですね。

随分長く「トヨタ博物館」に居た様な気がしましたが、せいぜい一時間半ぐらいだったんですね。
しかも、後ろから前から横から・・・でかい声の団体が「見学順路 ⇒」をまったく無視し、隙を見せると津波の様に押し寄せてきますから、落ち着いて見てられませんでした。


AM 1:00 ⇒ えぇ〜!ここが伝説の「桶狭間古戦場跡」ですか?ここは児童公園?になってます。

本日も愛知の旅がまだまだ続きますが、午前中の「トヨタ博物館」に続き、午後は伝説の「桶狭間古戦場跡」からスタートです。スマホに案内され、やっと辿り着きましたが、困ったことにこの史跡には駐車場がありません。
マナー違反ですが、仕方なくこの史跡公園の前にあるスーパーだったか?ドラッグストアだったか?ディスカウントストアだったか?の駐車場をお借りして観光しました。申し訳ありませんでした。ご勘弁下さい。
ここでも他の古戦場跡の碑のある所と同じ様に、桶狭間の戦いはこの辺りであったのではないか?という事らしいです。更にここから50m ぐらい離れた小高い丘の上に今川義元公の本陣跡の碑がありまして、歴史の一コマが体験出来る様にはなっています。

この旅が終わって家に帰ってから、何の気なしにニュースを見ていた時、見たことある場所から安売りの中継をしてました。それがここ!私がお借りした駐車場の主なんですが、ナンと!安売りで有名なお店だったんですね。
知っていたらお店の方にお邪魔したんですが、…(^_^)V


PM12:00 ⇒ 「熱田神宮」にやってきましたよ〜!

今日は暑い!連れて来ている愛犬のために冷房をどうしようか実に悩ましい気温です。ここは神社ですから、基本!ペットは連れて歩かないのがマナーでしょう。
写真をご覧になるとお分かりの様に、境内は巨木に覆われていますから木陰は涼しいです。とりあえずここは、車の窓を全開にして、お留守番させることにしました。
駐車場は、あまり多くの台数が置けない様ですが、本日はウィークデイの金曜日なので、それ程心配なく駐車出来ました。ゆったりとしたスペースなので、週末でなければ大型のキャンピングカーでも駐車出来るでしょう。

また、織田信長が桶狭間に向かうおり、戦勝祈願に立ち寄ったというここ「熱田神宮」ですが、こちらに来たら宝物館へも是非お立ち寄り下さい。約6000点という展示物の中には国宝や重要文化財の指定を受けた宝物が数多く展示され、かなり見応えがあります。
お参りを済ませたら、さあ〜!お昼です。お楽しみの 「ひつまぶし・ひつまぶし」 〜!と・・・


PM13:00 ⇒ さっ!ワクワクします。「熱田神宮」に行ったらここ!「蓬莱軒」ですね。

今回は、本店にお邪魔しました。GWのお休みを利用して同じようなコースを旅したコマッチからの情報の中で、我が家も真似して是非行ってみたいと思ったのがここ、「蓬莱軒」でした。
電話で問い合わせたところ、駐車場はあるが予約は受けられないのでとにかく来てみて下さい!という事です。
なるほど本店前の駐車場は狭く、近くのコインパーキングなどに上手く振り分けている様ですが、お店の前の駐車場は乗用車が2〜3台とマイクロバス用の駐車場が2台分あるだけです。
私達が行った時、マイクロバスの駐車場がちょうど一台分空いていたので、そこに駐車していい!ということでした。
まぁ〜!こうゆう車で来る客はあまり歓迎されませんが、週末だったら多分だめでしたでしょうね。
で、肝心のお料理ですが・・・
左下のひつまぶしは、¥3900円で、
右下のうまき定食は、¥3000円です。
で、確実に満足出来ます。美味しかったです。


PM14:30 ⇒ やって来ました。ここが「特別史跡:名古屋城」です。

このお城も確か二度目な筈なんですが、印象がだいぶ違っているので、思い出せなくなってます。
切符を買って正門から入ると、ここでもいきなり中国語〜!
このシャチホコの前で写真を撮ろうと順番を待っていても横に広がった人達が次から次へと来て入ってしまい、私達に撮影の順番は永遠にきそうもありません。
と、瞬間何事か揉めていましたので、そのちょっと間が空いた瞬間に割り込んで撮影したのがこの写真です。

本丸のエリアに入ると、いきなりの行列です。それも約半分以上の人が外国の方達です。
今回、この本丸御殿が完成し、観光出来る様になった!という情報を貰っていましたので、旅の目的の一つがここでした。だいぶ待つのかな〜!と思いましたが、それ程の待ち時間もなく順番が回ってきました。
徳川家康の命によって建てられたという、尾張徳川家の名古屋城ですが、本丸御殿は1945年(昭和20年)に、空襲により焼失しました。
永らく復元が待ち望まれてきましたが、幸いなことに、江戸時代の図面や記録、昭和戦前期に作成された実測図、古写真などが残されていたため、2009年(平成21年21)から第一級の史料をもとに、他では類を見ない正確さで忠実に復元を進めてきました。
昨年、2018年(平成30年)に、江戸幕府将軍家光の宿泊のために建造された最も格式が高いと言われている「上洛殿」や「湯殿書院」が完成し、公開を始めました。

まぁ〜しかし、お殿様も大変ですなぁ〜!こんなにキラキラ・ジャラジャラしていたら、どこにいても落ち着かないよね。

さあ〜!天守に上ろうかね〜!と、思ったら、太平洋戦争で焼失した天守を戦後鉄筋コンクリートで再建したものの、半世紀が経ち設備の老朽化やその耐震性の確保などに問題があるため、現在は閉鎖されているそうです。

仕方なく「二の丸庭園」など、内堀の内側をぐるっと散策して、帰ることにしました。
名古屋城の石垣は、本丸、二の丸、西の丸、御深井丸(おふけまる)を中心に築かれ、少し離れた三の之丸も含めるとその距離は城全体で総延長8.2キロにもなるそうです。
石垣に使われている石をよく見ると、さまざまな記号が刻まれています。(皇居の石垣と同じですね。)
この刻印は、各大名が苦労して運んだ石を他家と区別するために付けたものとみられ、いさかいを避ける知恵でもあったようです。
石垣工事で大活躍したのが石垣づくりの名手とされた写真の加藤清正とされてます。
その石垣の中でも最も重要な天守台の石垣を担当し、熊本(肥後)から約2万人を引き連れてきて、わずか3カ月足らずで工事を終了したと伝えられています。
本丸東二之門を入った正面には、大きさ約八畳敷、重さ推定10トンとされる名古屋城の石垣で最大の巨石があります。この石を清正が運んだという伝承があり「清正石 」と呼ばれていますが、ここの石垣の施工大名は黒田長政なので、これは単なる説話といわれてます。


PM16:00 ⇒ 本日は、「清洲城」が最後の観光施設でした。

私達が「清洲城」を訪ねた時はもう閉館ぎりぎりの時間で、本日最後の最後の観光客になってしまいました。
所在地は名古屋高速6号清須線と名古屋大に環状線が交差する清須市で、お城は清州城です。の字との字とがありますが、どちらでも正解の様です。納得のいかない方は、オフィシャルページの解説をご覧下さい。

気さくな館長さんに出迎えられ、何と!信長公と写真を撮るためにポーズまでとらされました。

歴史ドラマや色々な歴史小説でも織田信長公の天下取りの話はその話の出発点であり、その信長の周囲にいた武将達が戦国の世を終結させ天下平定を目指す姿が良く登場して描かれていますね。
上の写真でもお分かりのように、NHKの大河ドラマだけでも10本以上あります。ということは織田信長を演じた俳優さんも10人以上いるということですが、あなたイメージの織田信長公はどの俳優さんでしょう?
羽柴秀吉や柴田勝家などその名立たる武将達が拠点としていた集まっていたのがここ清須城で、平成元年に現在の場所に「清洲城」として再建整備されのだそうです。
金色に輝く鯱を天守の屋根にいただく清洲城は、その内部に「黒木書院」「芸能の間」を配し、「芸能文化館」五条川に架かる赤い「大手橋」とともに、清須市のシンボルとなっているそうです。
下の写真が五条川に架かる「大手橋」の先にある「清須古城公園」の駐車場ですが、本来清州城は、こちら側に在ったともいわれています。
駐車場のキャパは十分にありますので、大きなキャンカーで来ても大丈夫でしょう。


PM17:30 ⇒ 本日の温泉とお宿は、・・・

「ニューハートピア温泉:ホテル長島」と、「道の駅:立田ふれあいの里」でした。
俗に木曽三川(きそさんせん)といいますが、今回の旅で木曽川・長良川・揖斐川の合流するこの辺りにやって来たのは、偶然ではなく今回の旅の目的地の一つでした。
今回は旅の途中の寄り道、様子見だけですので通り過ぎるだけになってしまいますが、古い友人にこの辺りでのキャンプは素晴らしい!という話を聞いていたので一度来てみたかったんです。
本日の温泉は、県道125号添いにある車中泊予定の「道の駅:立田ふれあいの里」を通り越して木曽三川のうちの木曽川を越えた先の中州にある「ニューハートピア温泉:ホテル長島」さんです。

下の写真は本日お世話になる「道の駅:立田ふれあいの里」で、県道125号添いにあります。

さあ〜!明日はいよいよ、伊賀!甲賀!柳生!と、日本を代表する忍者の里を巡ります。

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2019年(令和元年)5月11日の、くるま旅レポート HOME


AM08:00 ⇒「道の駅:立田ふれあいの里」を出発します。

大体のキャンカー乗りの方がそうだと思いますが、キャンカーで旅をしていると日中立ち寄る道の駅では買い物や食事が出来るんですが、一番お世話になる車中泊で立ち寄る時はいつも閉店後の到着になってしまい、翌朝の開店前にはだいたい出発してしまいますよね。
申し訳ないので、せめて朝の開店時間をもう少し早くして頂けると、恩返しが出来るんですけどね。何処の道の駅か忘れてしまいましたが、モーニングサービスが朝の7時半からという所がありまして、大変助かった覚えがあります。


AM11:00 ⇒ ここは、伊賀上野「伊賀流忍者博物館」「伊賀上野城」です。

「道の駅:立田ふれあいの里」を出て3時間、高速を使わない旅でアチコチ寄り道&迷い道の旅ですから移動には少々時間が掛かります。
ここ伊賀上野も度々時代劇に登場する地域ですね。
黒澤明監督の「影武者」の撮影があったのがここ、「伊賀上野城」であったり、最近では「嵐」の大野君が主演した「忍びの国」が、確かこの地に起きた忍者対織田軍との攻防を舞台にした作品だった様な記憶があります。

上の写真「伊賀流忍者博物館」は、からくり屋敷の伊賀流忍者屋敷と、忍者道具の展示とビデオシアターの忍術体験館、忍者の知恵や生活についての忍者伝承館、そして最後に伊賀忍者特殊軍団:阿修羅による忍術体験と忍術ショーとが、一連の観光コースになってます。
最後のイベント伊賀忍者特殊軍団:阿修羅による忍術体験と忍術ショーの時間まで暫らくあるので、その間を利用して「伊賀上野城」を見学してこようと思います。

資料によると、天正13年(1585年)に、先ずは筒井定次が、その後慶弔13年(1608年)に藤堂高虎が築いたといわれているそうですが、現在の天守は当地選出の代議士:川崎克氏が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて藤堂氏の天守台に建てたものだそうです。
昭和7年(1932年)に着工し、昭和10年(1935年)の完成というので、戦前の建物なんですが、木造建築は強いんですね。当時の鉄筋コンクリート造りの技術だったら耐震性に問題あり!で、建て替えか耐震補強が必要だと思います。
木造三層の大天と二層の小天守からなる複合式天守の「昭和のお城」は、伊賀地域の文化と産業の振興の拠点として「伊賀文化産業城」と名付けられ、その優雅な姿から「白鳳城」と呼ばれ、伊賀のランドマークとして今でも市民に親しまれているそうです。
藤堂高虎が本丸の西に築いた日本一高いといわれる石垣や、数々の貴重な展示物なども見所です。

そして、いよいよ!現代の忍者集団による忍術パフォーマンスの時間になりました。
本日のこの回は、見物人の9割が外国人ということもあり、さすがに忍者集団、年中こういう場面があるんでしょうね、英語の説明も達者です。写真やビデオの撮影は、一部を除いて禁止されていましたので、ご了承下さい。
この地にはまだ本物の忍者がいるらしい。臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前・だ!そうです。

演じている「伊賀忍者特殊軍団:阿修羅」の俳優さん達をどこかで見たことがあると思ったら、ここに来て初めに入ったからくり屋敷の伊賀流忍者屋敷で忍者屋敷のからくりを説明して実演してくれていた人達でした。
ここまでで、伊賀上野での忍者体験は終了です。最後に「くノ一家 おもてなし処 愛間亭」で、こちらの名物というお蕎麦を頂きました。
これがもう絶品!私好みの細切りのさっと茹で!出汁の効いたつゆとがついて、もう最高でした。


PM13:00 ⇒ 伊賀忍者の体験をした後は、やはり甲賀の忍者も体験しませんとね。

伊賀から甲賀までは20キロぐらいでしょうか、やってきたのは「甲賀の里忍術村」です。車なら30分足らずですが、かなり奥深い山の中です。
原生林に囲まれた広大な敷地の中に、志能備神社、忍術博物館、からくり屋敷、手裏剣道場などが点在する、言わば隠里の様なところです。。
こちらはまぁ〜以下の写真をご覧頂くとお分かりになると思いますが、一言でいうと、伊賀の様な観光施設ではなく、体験型のアスレチック遊園地ですね。
びっくりすることに殆んどのお客さんが忍者装束を身にまとっているんです。
子供達は絶対ですね。忍者気分に成り切れます。
しかし、¥1000円を超える入場料にしては施設はイマイチで、トイレなんかはちょっと気にする子は使えないんじゃない?という感じです。
歩き難い園内を爺じ婆ばで手を取り合って一回りしましたが、ちょっと場違いな、年寄りはお呼びでない!という感じでした。


PM15:00 ⇒ 忍者シリーズ最後にやってきたのが「柳生の里」ですね。

柳生の一族を忍者シリーズに加えることは、歴史好きの皆さんでも意見の分かれることでしょうが、場所は甲賀の里忍術村から1時間ぐらい、三角を書いて伊賀と甲賀のちょうど中間辺りの少し奈良寄りになります。
この地も小説や時代劇の舞台に度々登場しますが、個人的には明日行くつもりの興福寺(槍の宝蔵院)と合わせて柳生新陰流の道場で修業した宮本武蔵が偲ばれます。
探しながら何とか辿り着いた「柳生」という交差点、日本中の何処にでもありそうなごく普通の交差点ですが、この辺りが「柳生の里」であることは間違いないんです。

しかし、写真をご覧頂くとお分かりの様に、この辺りはイマイチ観光地化されていないので、何処をどう尋ね回っていいのか良く分かりませんし、観光情報を何か聞こうにも近くには誰一人、人がいません。
とりあえず観光客用であろう雰囲気の駐車場に車を置きましたが、有料なのか?無料なのか?番人小屋らしき所にも人がいません。
良く見ると、缶カラがぶら下がっていて¥500円って書いてあります。まぁ〜、悪いことをする人も考える人もこの辺りにはいないんでしょうね。¥500円玉を一つ落として、歩き出しましょう。

先ず見つけたのが、上の写真の「柳生家:家老屋敷跡」。見学は有料で、長屋門には受付があっておばさんが一人店番してました。柳生の庄に来て、道路工事の人以外、村人を見たのは初めてです。
入場料を払って見学させていただきましたが、柳生家に伝わる鎧兜や刀剣、書物や什器など珍しい展示物と手入れされた庭が見事です。ですが、こういう保存された歴史資料の展示スタイルは、もう時代遅れで流行らないんですかね〜!
他に観光客は誰もいませんし、やって来る気配もありません。受付のおばさんにこの辺りの観光情報を聞いて見ましたが、「あとはお墓ぐらいかね〜!」だって、…(^_^ ゞ

上の写真は、その昔宮本武蔵も修業したという「柳生新陰流:正木坂剣禅道場」です。道場から激しい練習の声が聞こえてきましたので、許可を頂き、ちょっとお邪魔して練習風景を見学させていただきました。
「柳生新陰流:正木坂剣禅道場」近づくだけで伝わって来る、凄い気合と気迫です。
下の写真は、「この辺りにはあまり見所はないよ〜!あとはお墓ぐらいかね〜!」というおばさんお勧め?のお墓にやってきました。
道場のすぐ裏手にある柳生一族の「菩提寺:芳徳寺」で、一帯は元々この地にあったという「大和柳生城跡」なんですね。
この辺りは、もはや薄気味が悪くなるほど普通の田舎の村です。
下の駐車場でしっかり料金¥500円を取られましたが、我が家の他には一台も車が止まってませんのでこのおじさんの手間賃も出ないですね。


PM18:00 ⇒ 本日の温泉は「奈良健康ランド」で、お宿は「道の駅:レステイ唐子・鍵」でした。

少しのんびりしてしまい、「柳生の里」を出たのがもう5時近かったので、奈良の町に着くのがかなり遅くなってしまいました。日帰り温泉を検索してやって来たのがここ、「奈良健康ランド」でした。
料金はシニヤ割で¥1000円と、いいお値段ですが、フルサービスの24時間営業なんで仕方ないんでしょうね。

ご承知の様に私は烏の行水なんで15分もあれば十分なんです。本日は、ここのレストランで軽く食事をして、この少し先にある「道の駅:レステイ唐子・鍵」という出来立ての道の駅にお世話になろうと思います。
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AM06:30 ⇒「道の駅:レステイ唐子・鍵」朝の風景です。

昨夜お世話になった「奈良健康ランド から2〜3キロ南に下った所にあるのがここ「道の駅:レステイ唐子・鍵」という去年出来たばっかりという道の駅です。
実に気持ちのいい〜い!新品のピカピカな道の駅ですが、9時の開店までは待てません。次回また日中に通りましたら、寄りますので宜しくです。


AM06:30 ⇒ 奈良の旅、先ずは「興福寺」から始めます。

前回の奈良の旅、「平城遷都1300年祭り」で来た時に、あまりの混雑や時間切れで観光漏れしてしまった所を今回一つ二つ寄っていこうと思います。
先ずはここ、「柳生の庄」からの歴史好きの方なら同じみの、宮本武蔵の修行の旅つながりで、槍の宝蔵院「興福寺」からスタートです。カミさんも東京の上野に来た時に見損なったので、ここであの「阿修羅像」に会えるのが楽しみ!」だと言ってます。
先ず、ルートは昨日この辺りを通って確認していた県庁前に来ました。いくつか駐車場を覗きましたが、一日置くと¥1500円とか、初めからそんな車はダメダメ!というので、仕方なく少し窮屈ですが、興福寺の一本裏通りにあるコインパーキングに駐車しました。

先ずは、南円堂前にある寺務所で御朱印を頂くために少し行列に並びます。
続いて昨年落慶したという中金堂、五重塔、興福寺 、現在は建物のない宝蔵院跡(宝蔵院流鎌槍発祥の地)などを見学し、最後はお楽しみ「阿修羅像」に会いに国宝館に向かいます。
順路の初めに千手観音菩薩を中心として絵画、仏像、工芸品などの展示があります。
順路を進むと奈良時代天平彫刻の傑作と言われている阿修羅像をメインに、乾漆八部衆像、乾漆十大弟子像他、平安時代の燈籠や板彫りの十二神将のなど、もうその見事さに唸りっ放しの展示でした。
さすがにずらりと国宝の並ぶ国宝館、見応えがありましたし、たいそう混雑してました。


AM11:00 ⇒ こちらも前回時間切れで見学出来なかった「法隆寺」に、やっと来られました。

ここも前回「平城遷都1300年祭りの旅」で来た時に寄ったんですが、着いた時間が5時ちょうどで閉館になってしまいました。今回は、逃さず見学してゆこうと思います。
聖徳太子が斑鳩の里に斑鳩の宮を造営したのは西暦でいうと600年頃とされてますが、1400年も前の時代にもうすでにこの五重塔を始めとする建物を立派に建築する技術があったということが、素晴らしいですね。
とても信じられませんし、今でも立派に通じる匠の技術は、電動工具を使ったスピード感のある仕事に慣れてしまった現在の大工さんにはこんなに手間暇をかけた丁寧な仕事は出来ないでしょう。
やって来たここ「法隆寺」は、仏教寺院を中心にいったいどれくらいの敷地があるのか想像も出来ませんが、地図やカーナビををご覧になると良く分かりの様に一つの町全体が「法隆寺」なんですね。
まぁ〜観光客が歩いて見て回るのはホンの一部であることは間違いありません。

左上の写真が「金堂」で、こちらには釈迦三尊像、薬師如来像、阿弥陀三尊像、天蓋の天人と鳳凰、吉祥天、四天王像などが納められ、右下の写真の「五重塔」は、皆さんご承知の通り日本最古とされています。
しかも、写真をご覧いただくとお分かりの様に今日はとてもいい天気で日差しが強いんで暑いです。


PM15:00 ⇒ そして、今回の奈良の旅の最後は、「長谷寺」です。

ここも前回「平城遷都1300年祭りの旅」の時に立ち寄ってはいるんですが、有名な「ぼたんまつり」とゴールデンウィークが重なってましたので、あまりの混雑で入場規制になっていたので、入場を断念してしまいました。
登廊、国宝:舞台創りの本堂、国内最大の木造十一面観音などがこのお寺の見どころだそうですが、楽しみです。
国道165号を近鉄大阪線の「長谷寺駅」の前から大和川に沿って走る県道38号を少し登った所にある「長谷寺」は、山の中の傾斜地に立つお寺ですので、行く道も狭く、駐車場も狭く台数も限られています。
途中の参道のお土産屋さんでも空いているスペースに駐車させてくれるところがありますが、お寺まではそれなりに歩きますからご注意ください。
花のお寺と自負している様に、ホームページには「花とこよみ」と題して年間を通じて咲く花が見やすく整理されてますので、来られる方はそれらを参考にされるといいでしょう。
お寺さんにお参りするための入山料が割引されて¥1300円というのがどうも割り切れませんが、手の掛かっている花の鑑賞代というなら納得できますね。
先ずは、右下の写真、399段あるという登廊からスタートします。
初めは緩いんですがだんだん勾配がきつくなりますので、スピードは控えめがいいです。

御朱印が欲しい方は、このあたりに受付がありますが、通常、2〜3種類の中から選んだりする事は良くありますけど、このお寺の御朱印の種類の多さにびっくりしますよ〜!
西国三十三か所の御朱印、同御詠歌の御朱印、十一面観音の御朱印等々、10種類?時には期間限定の御朱印があったりするそうですが、どうしていいのか分からないため、私はここのお寺「長谷寺」の御朱印を頂きました。

下の写真がその国宝指定された舞台造りの本堂ですが、山の南斜面にへばり付く様に立っているため、山登りの途中の景勝地の様に見渡す山々の景観がとても素敵です。
景色と本堂と前後両方でポーズをとっている人がいるので、なかなか歩きにくいです。…(^_^)V

右の写真、こちらが終戦後の昭和29年に日本で初めて建てられたという五重塔で、昭和の名塔と呼ばれているそうです。
材料の木材や手慣れた職人さんのいない時代でしたでしょうから、大変苦労されたでしょうね。
寺院内は、ぐるりと山裾を歩けるように整備されているので、小さなお子さん連れでも大丈夫です。
順路の最後に重要文化財に指定されている本坊に出ますが、当初の徳川家の寄進に寄る建物は明治44年に焼失し、現在の建物は大正13年に再建された建物だそうです。「長谷寺」感動です。


PM17:00 ⇒ 本日の温泉は「大宇陀温泉:あきのゆ」で、お宿は「道の駅:宇陀路大宇陀」です。

「大宇陀温泉:あきのゆ」「道の駅:宇陀路大宇陀」とも前回「平城遷都1300年祭りの旅」の時に来て以来二度目の訪問で、温泉も道の駅も勝手知ったるなんとやらです。お疲れさまでした。

☆彡= 旅は、十津川村・田辺市・和歌山・堺・大阪・神戸・

淡路島・徳島・高松へと続き、小豆島へ渡ります。=レポート3=は、こちら!

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