● AM07:00 ⇒ 名古屋に一番近い道の駅は、「道の駅:瀬戸しなの」でした。
走行中に「あっ!こんな所にある!」と、良く見掛けますが、夕暮れの必要な時に近くに無いのが道の駅!で、何処の街に行っても良く見掛けても、入りたい時に見つから無いのが日帰り温泉!ですね。
これはもう、こういう計画性のない行き当たりバッタリの旅をする人の共通の悩みではないでしょうか。
計画をしないのが悪い、それは自業自得といえばそれまでですが、意外と名古屋の近くには道の駅がないんですね。まぁ〜お世話になったここ、「道の駅:瀬戸しなの」も悪い処ではないんですが、こちらに来る人に車中泊にどうぞ!と、お勧めできるか?と言えば、う〜ん・・・と、悩みます。
● AM09:00 ⇒「長久手古戦場跡」と、閉館にギリギリセーフだった「郷土資料室」
朝一で「道の駅:瀬戸しなの」を出発してから20分ほど南下すると、「愛・地球博記念公園(モリコロパーク)」に突き当たり、「猿投グリーンロード」・「愛知高速交通(リニモ)東部丘陵線」に沿ってそこを右折すれば、右手に大きな「トヨタ博物館」が見えてきます。
「トヨタ博物館」には本日行く予定ですが、その前にちょっと気になっている歴史好きにはたまらない「長久手古戦場跡」に寄り道したいんです。
● AM09:30 ⇒ ここも今回の旅で是非来てみたかった目的地メニューの一つ、「トヨタ博物館」です。
「トヨタ博物館」は、発明時の自動車から現在の自動車まで、約140台の内外の実車を展示するもので、車のメカニカルな進歩の歴史や、その時代の流れが良く分かる様に時間軸に沿って展示されてます。
私のページでそれらの写真を載せるかどうかかなり迷いましたが、批判があればお知らせ下さい。
ここでは私の個人的な趣味で抜粋してその一部をご紹介しますので、興味を持たれた方は、是非現着に行かれ、本物をご覧になる事をお勧めします。また、掲載がNGな場合もお知らせ下さい。
失敗しました。やはり寄り道なんかせず朝一番でここに来ればよかったです。
「トヨタ博物館」の駐車場に入る時、玄関前に観光バスが数台止まっていたので今日は団体があるかな?と、思っていたんですが、嫌な予感は的中するものです。
入場ゲートに向かうと、入り口前でたむろしている団体客は日本語を話していません。
そうです。あの声の大きい人達、やたらと写真を撮りまくる人達、入ってはいけない所や乗ってはいけない所に平気で乗る人達、順番を守らない人達、・・・です。
でも良かった〜!彼らは団体のため、入場に少し手間取っている様です。大急ぎで先に入場しちゃいます。
どうですか?写真はホンの一部ですが、懐かしい車や憧れていた車なんかも有ったでしょう。
私も乗ったことの有る車や所有していた車、友人が乗っていた車、欲しかった車などがいっぱいありましたが、これだけ揃うと圧巻ですね。
トヨタ博物館のホームページには、140台あるという展示車の年代別メーカー別に詳しい情報や写真が載ってますので、興味のある方や、何かを調べたい方は、チェックしてみて下さい。
男のロマンや車マニヤにもいろいろありまして、ミニカー、カーバッチ、ポスターなどのコレクションも凄いですね。 |
随分長く「トヨタ博物館」に居た様な気がしましたが、せいぜい一時間半ぐらいだったんですね。
しかも、後ろから前から横から・・・でかい声の団体が「見学順路 ⇒」をまったく無視し、隙を見せると津波の様に押し寄せてきますから、落ち着いて見てられませんでした。
● AM 1:00 ⇒ えぇ〜!ここが伝説の「桶狭間古戦場跡」ですか?ここは児童公園?になってます。
本日も愛知の旅がまだまだ続きますが、午前中の「トヨタ博物館」に続き、午後は伝説の「桶狭間古戦場跡」からスタートです。スマホに案内され、やっと辿り着きましたが、困ったことにこの史跡には駐車場がありません。
マナー違反ですが、仕方なくこの史跡公園の前にあるスーパーだったか?ドラッグストアだったか?ディスカウントストアだったか?の駐車場をお借りして観光しました。申し訳ありませんでした。ご勘弁下さい。
ここでも他の古戦場跡の碑のある所と同じ様に、桶狭間の戦いはこの辺りであったのではないか?という事らしいです。更にここから50m ぐらい離れた小高い丘の上に今川義元公の本陣跡の碑がありまして、歴史の一コマが体験出来る様にはなっています。
この旅が終わって家に帰ってから、何の気なしにニュースを見ていた時、見たことある場所から安売りの中継をしてました。それがここ!私がお借りした駐車場の主なんですが、ナンと!安売りで有名なお店だったんですね。
知っていたらお店の方にお邪魔したんですが、…(^_^)V
● PM12:00 ⇒ 「熱田神宮」にやってきましたよ〜!
今日は暑い!連れて来ている愛犬のために冷房をどうしようか実に悩ましい気温です。ここは神社ですから、基本!ペットは連れて歩かないのがマナーでしょう。
写真をご覧になるとお分かりの様に、境内は巨木に覆われていますから木陰は涼しいです。とりあえずここは、車の窓を全開にして、お留守番させることにしました。
駐車場は、あまり多くの台数が置けない様ですが、本日はウィークデイの金曜日なので、それ程心配なく駐車出来ました。ゆったりとしたスペースなので、週末でなければ大型のキャンピングカーでも駐車出来るでしょう。
また、織田信長が桶狭間に向かうおり、戦勝祈願に立ち寄ったというここ「熱田神宮」ですが、こちらに来たら宝物館へも是非お立ち寄り下さい。約6000点という展示物の中には国宝や重要文化財の指定を受けた宝物が数多く展示され、かなり見応えがあります。
お参りを済ませたら、さあ〜!お昼です。お楽しみの 「ひつまぶし・ひつまぶし」 〜!と・・・
● PM13:00 ⇒ さっ!ワクワクします。「熱田神宮」に行ったらここ!「蓬莱軒」ですね。
今回は、本店にお邪魔しました。GWのお休みを利用して同じようなコースを旅したコマッチからの情報の中で、我が家も真似して是非行ってみたいと思ったのがここ、「蓬莱軒」でした。
電話で問い合わせたところ、駐車場はあるが予約は受けられないのでとにかく来てみて下さい!という事です。
なるほど本店前の駐車場は狭く、近くのコインパーキングなどに上手く振り分けている様ですが、お店の前の駐車場は乗用車が2〜3台とマイクロバス用の駐車場が2台分あるだけです。
私達が行った時、マイクロバスの駐車場がちょうど一台分空いていたので、そこに駐車していい!ということでした。
まぁ〜!こうゆう車で来る客はあまり歓迎されませんが、週末だったら多分だめでしたでしょうね。
で、肝心のお料理ですが・・・
左下のひつまぶしは、¥3900円で、
右下のうまき定食は、¥3000円です。
で、確実に満足出来ます。美味しかったです。
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● PM14:30 ⇒ やって来ました。ここが「特別史跡:名古屋城」です。
このお城も確か二度目な筈なんですが、印象がだいぶ違っているので、思い出せなくなってます。
切符を買って正門から入ると、ここでもいきなり中国語〜!
このシャチホコの前で写真を撮ろうと順番を待っていても横に広がった人達が次から次へと来て入ってしまい、私達に撮影の順番は永遠にきそうもありません。
と、瞬間何事か揉めていましたので、そのちょっと間が空いた瞬間に割り込んで撮影したのがこの写真です。
本丸のエリアに入ると、いきなりの行列です。それも約半分以上の人が外国の方達です。
今回、この本丸御殿が完成し、観光出来る様になった!という情報を貰っていましたので、旅の目的の一つがここでした。だいぶ待つのかな〜!と思いましたが、それ程の待ち時間もなく順番が回ってきました。
徳川家康の命によって建てられたという、尾張徳川家の名古屋城ですが、本丸御殿は1945年(昭和20年)に、空襲により焼失しました。
永らく復元が待ち望まれてきましたが、幸いなことに、江戸時代の図面や記録、昭和戦前期に作成された実測図、古写真などが残されていたため、2009年(平成21年21)から第一級の史料をもとに、他では類を見ない正確さで忠実に復元を進めてきました。
昨年、2018年(平成30年)に、江戸幕府将軍家光の宿泊のために建造された最も格式が高いと言われている「上洛殿」や「湯殿書院」が完成し、公開を始めました。
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まぁ〜しかし、お殿様も大変ですなぁ〜!こんなにキラキラ・ジャラジャラしていたら、どこにいても落ち着かないよね。 |

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さあ〜!天守に上ろうかね〜!と、思ったら、太平洋戦争で焼失した天守を戦後鉄筋コンクリートで再建したものの、半世紀が経ち設備の老朽化やその耐震性の確保などに問題があるため、現在は閉鎖されているそうです。

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仕方なく「二の丸庭園」など、内堀の内側をぐるっと散策して、帰ることにしました。
名古屋城の石垣は、本丸、二の丸、西の丸、御深井丸(おふけまる)を中心に築かれ、少し離れた三の之丸も含めるとその距離は城全体で総延長8.2キロにもなるそうです。
石垣に使われている石をよく見ると、さまざまな記号が刻まれています。(皇居の石垣と同じですね。)
この刻印は、各大名が苦労して運んだ石を他家と区別するために付けたものとみられ、いさかいを避ける知恵でもあったようです。
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石垣工事で大活躍したのが石垣づくりの名手とされた写真の加藤清正とされてます。
その石垣の中でも最も重要な天守台の石垣を担当し、熊本(肥後)から約2万人を引き連れてきて、わずか3カ月足らずで工事を終了したと伝えられています。
本丸東二之門を入った正面には、大きさ約八畳敷、重さ推定10トンとされる名古屋城の石垣で最大の巨石があります。この石を清正が運んだという伝承があり「清正石
」と呼ばれていますが、ここの石垣の施工大名は黒田長政なので、これは単なる説話といわれてます。
● PM16:00 ⇒ 本日は、「清洲城」が最後の観光施設でした。
私達が「清洲城」を訪ねた時はもう閉館ぎりぎりの時間で、本日最後の最後の観光客になってしまいました。
所在地は名古屋高速6号清須線と名古屋大に環状線が交差する清須市で、お城は清州城です。須の字と洲の字とがありますが、どちらでも正解の様です。納得のいかない方は、オフィシャルページの解説をご覧下さい。
気さくな館長さんに出迎えられ、何と!信長公と写真を撮るためにポーズまでとらされました。 |

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歴史ドラマや色々な歴史小説でも織田信長公の天下取りの話はその話の出発点であり、その信長の周囲にいた武将達が戦国の世を終結させ天下平定を目指す姿が良く登場して描かれていますね。
上の写真でもお分かりのように、NHKの大河ドラマだけでも10本以上あります。ということは織田信長を演じた俳優さんも10人以上いるということですが、あなたイメージの織田信長公はどの俳優さんでしょう?
羽柴秀吉や柴田勝家などその名立たる武将達が拠点としていた集まっていたのがここ清須城で、平成元年に現在の場所に「清洲城」として再建整備されのだそうです。
金色に輝く鯱を天守の屋根にいただく清洲城は、その内部に「黒木書院」「芸能の間」を配し、「芸能文化館」五条川に架かる赤い「大手橋」とともに、清須市のシンボルとなっているそうです。
下の写真が五条川に架かる「大手橋」の先にある「清須古城公園」の駐車場ですが、本来清州城は、こちら側に在ったともいわれています。
駐車場のキャパは十分にありますので、大きなキャンカーで来ても大丈夫でしょう。
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● PM17:30 ⇒ 本日の温泉とお宿は、・・・
「ニューハートピア温泉:ホテル長島」と、「道の駅:立田ふれあいの里」でした。
俗に木曽三川(きそさんせん)といいますが、今回の旅で木曽川・長良川・揖斐川の合流するこの辺りにやって来たのは、偶然ではなく今回の旅の目的地の一つでした。
今回は旅の途中の寄り道、様子見だけですので通り過ぎるだけになってしまいますが、古い友人にこの辺りでのキャンプは素晴らしい!という話を聞いていたので一度来てみたかったんです。
本日の温泉は、県道125号添いにある車中泊予定の「道の駅:立田ふれあいの里」を通り越して木曽三川のうちの木曽川を越えた先の中州にある「ニューハートピア温泉:ホテル長島」さんです。

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さあ〜!明日はいよいよ、伊賀!甲賀!柳生!と、日本を代表する忍者の里を巡ります。
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