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SUMMER CAMP TOURING 2001 Vol.1

<< 平成13年8月11日〜16日 >> 本州最北端の下北半島・津軽半島巡りと温泉キャンプ!

 
CAMP REPORT 2001
平成13年の主なキャンプ活動!
  04月:田貫湖:天使の森AC
  GW1 塩原・鬼怒川
  GW2 沼田・星の降る森
  07月 乗鞍:F-Camp
  8月 夏休み:青森 その1
  08月 夏休み:青森 その2
  08月 夏休み:青森 その3
  08月 夏休み:青森 その4
  11月 福島・茨木:紅葉狩
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CAMP REPORT 2001


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★ Vol.1 ★ Vol.2 Vol.3 Vol.4


⇒ SUMMER CAMP TOURING 2001 SCHEDULE
⇒ 8月11日 ⇒ 出発 ⇒ 那須高原SA(1泊目)
⇒ 8月12日 ⇒ 平泉、中尊寺見学⇒ 前沢(温泉) ⇒ 水沢 ⇒
                  ⇒ 東北道 ⇒ 八戸道 ⇒  二戸PA(2泊目)
 
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SUMMER CAMP TOURING 2001 SCHEDULE !! HOME


毎年の事ながら、今年も出発するギリギリまで夏休みの日程が決まらずに家族の不評をかっていましたが、今年の夏休みは11日の土曜日から16日の木曜日までの6日間と決定し、数年前からひそかに計画していた本州最北端の旅へ行ってくることにしました。
17日の金曜日が休めれば9日間の連続休暇になるところでしたが、惜しかったです。まっ、そうは言っても夏休みはお盆の3日間だけという会社もあることですので、贅沢は言えませんね ・・・(^_^ゞ
しかし、当初9日間で行く予定で作った計画を3分の2の6日間で行く訳ですから正直日程が忙しかったのも事実です。
下北半島の大間崎や津軽半島の竜飛岬などどうしてもショートカット出来ない場所もあるので、今回はのんびり行ってこよう!という訳にいきませんでした。
行き当たりばったりのキャンプツーリングというスタイルはいつもと同じなんですが、常に先を急がなければならず、遠回りや道の間違いなどはもっての他という神経を使う旅になってしまいました。
終わってみれば、全走行距離2300キロ、一日平均で380キロ以上というちょっと無理で無謀な強行軍となってしまい、ちょっと反省しています。
今から13年前の1988年、北海道へ渡る途中に十和田湖・奥入瀬・八甲田と走り抜けましたが、その日以来!いつの日かもう少し先の下北半島や龍飛岬を廻ってみたいと思い、長年温めていた計画を今回実現させたものです。
既に東北の三大祭、青森ではねぶた祭りも終わっているとはいえ、まだまだお盆休みの真っ最中でしたので、行く先々で凄い人出と渋滞に遭遇してしまいましたが、毎日とても涼しくて素晴らしい本州最北の旅を満喫してくることが出来ました。

本州最北端の旅

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平成13年8月11日土曜日:(1日目) 曇り時々雨の出発! HOME


PM 16:00  さあ!そろそろ出掛けよっかね!

出発の日というのは何かワクワク、何故かソワソワしてしまいます。遠足に行く日の子供みたい!と、カミさんに笑われましたが、心は既に東北へと向かって走り出しているようです。
しかし、今日はまだ出発出来ないんです。前々からの娘との約束で、大きな買い物?に付き合ってやらなきゃいけません。だいたい店の開く時間を見計らって10時半頃家を出て、御茶ノ水から神保町界隈をウロウロ・ウロウロ・あっちに行って!こっち行って!と、他人使いの荒い娘にお昼過ぎ迄付き合わされてしまいました。
帰ると、段取りのいい女房が既に出発準備を済ませておいてくれましたが、遅くなったお昼を食べて出発したのは午後4時を過ぎちゃいました。


PM 17:00 湾岸から都心中央環状:やはり、凄い渋滞だ!!

出掛けのゴタゴタですっかり忘れていましたが、いつものように羽田から首都高に上がり湾岸道路に入ったところで「アッ!そうだ!」っと、思い出したんです。
「夕方出発したら花火見物の渋滞に巻き込まれるね!」と、昨日もその話をしたばかりでした。今日はお台場で花火大会がある日で、少し早く出掛けなければいけませんでした。
すでにもう手遅れのようで、しっかり花火見物の渋滞にハマってしまい、40分以上経っても湾岸から動けずにいます。しかも、ラジオの交通情報によるとこの花火大会の為にレインボーブリッジはとうとう通行止めになってしまい、葛西では事故による渋滞が8キロ、東北道は矢板から福島トンネルにかけて断続的に50キロ前後の帰省渋滞と、大渋滞の日になっているらしい。
おまけにさっきまであんなにいいお天気だった空が急に真っ暗になり、時折パラパラと大粒の雨も落ちてきた。我が家を出発してから宇都宮インター付近までのろのろ・ノロノロと、そんな状況が延々ともう2時間以上続いている。雨もどうやら本降りになってきたようだ。


PM 20:00 東北道:那須高原SA (ドシャ降りの一泊目)

休憩もせずにもう3時間以上は走っている。135キロポストが見えてきたので、そろそろ那須・塩原インターだろうが、単調な運転にも飽きてきた。
ラジオの交通情報では、この先磐越道との分岐点や福島トンネル辺りは動かないといっているので、今日はこの先いくら頑張っても距離を稼ぐことは出来ないだろう。
遅いお昼を食べたといっても、もう8時を過ぎている。お腹も空いてきたし、さっきからウトウトとして眠くてしょうがない。今日はこの先の那須高原SAで夕食を取って終わりにしよう。
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8月12日 日曜日:(2日目) ドシャ降りのち雨のち寒い 16℃ HOME


AM 07:00  東北道:那須高原SE

夕べ、車を停めて「さあ!食事に行こう!」 と、車から一歩足を踏み出したSAの駐車場は、まるで川か湖のようで20センチぐらいの深さがあったでしょうか、ボチャン(ザブン!) と車から降りた瞬間にスニーカーが一足使えなくなってしまった。
凄い雨音の中、疲れていたので気にもせずそのままぐっすり眠ってしまいましたが、朝起きても雨はまだ降り続いています。とりあえず燃料を満タンにしてボチボチ走り出す事にしました。
道路は、昨日よりは少しマシなようですが、相変わらず渋滞しています。


PM 12:40  東北道:長者原SE  

我が家を出発してから480キロ、東北道の380キロポストを過ぎた「長者原SA」辺りまでくると、ようやく渋滞は解消したらしく、流れが良くなってきました。この辺でだいたい中間点といったところでしょうか。
ここに来るのは実に13年前ぶりで、北海道に行く時にメンバーと待ち合わせをしたのが確かこの「長者原SA」でした。ちょっと懐かしい場所ですが、当時は夜7時頃に家を出て12時頃には着いた記憶があります。
丸一日がかりの今回とはエライ違いですね。・・・(^_^ゞ


PM 13:30  平泉:中尊寺

仙台を過ぎて約80キロ、この一ノ関インターで下りると一度行ってみたかった厳美渓に行く事が出来ますが、今回ここは外すことにしました。もう少し先を急がなければならないので「ここは、温泉もあるよ!」と、行きたがっているカミさんに「ここで降りたら一日掛かる。次回また来よう!」と、なだめて通過する事にした。
今回のくるま旅は、本州の最北端、最果ての岬巡りを目指している訳ですが、その前に先ず平泉(中尊寺)は寄って行こうと決めていた。旅の安全祈願をする事もその一つなんですが、ただ海や山へ遊びに行くだけでなく、たまには歴史と文化を尋ねる旅をするのもいいだろう!ということです。
その昔・・・青森まで義経と弁慶が辿った逃避行の軌跡も追ってみたいということ。
その旅の起点ともいわれる平泉で国宝や重要文化財に触れておきたかったということです。
一ノ関インターの次が平泉・前沢インターで、料金所を出て右に約3分走ると「中尊寺」に到着することができた。歴史のある史跡には珍しく、交通の便はすごくいい。


駐車場は、結構空いてます。

付近の国道の両脇には公営・私設共に大小の駐車場がたくさんあるようですが、どこの駐車場もガラガラに空いている。トレーラーを引いて出掛け、連結したまま観光地巡りをすると、いつも置き場所と駐車料金が悩みの種なんです。
少し離れてもなるべく無料の場所を探してしまいますが、通常で普通車2台分、ひどい時は観光バスと同じ大型料金を取られてしまいます。
一番手前にある 「中尊寺町営第1駐車場」 は、ロープが掛かっていて閉鎖になってます。
そこから少し先の 「中尊寺町営第2駐車場」 は、写真でお分かりの様に殆んどガラ空きのようですが、営業はしているみたいだ。

中尊寺の駐車場

人の良さそうなお爺さんが「こっち!こっち!」と手招きしている。
私: 「車!後ろもつながっていて長いんですけど、いいですか?」
爺: 「1台400円ね!」
・・・ 仕方なく1000円出すと600円おつりをくれた。
・・・ 私・・・「あの〜?後ろも繋がって一緒なんですけどぅ〜?」
・・・ 爺・・・「他じゃ、2台分取ると思うけど、今日は空いてるから1台分でいいよ!」
・・・ ラッキー!・・・なんて!いい人なんでしょう。・・・
・・・ (安くしてくれると、すぐにいい人だと思ってしまう。)
・・・ 私・・・「どこに置けばいいですか?」
・・・ 爺・・・「どこでも、空いている好きなところにおいてい〜よ!」


参拝に行く。

駐車場から国道4号線を横断する地下道をくぐると、その正面が表参道の様だ。参道の両脇は、開基開山八百五十年というだけあってどれも幹の直径が1メートル以上の樹齢数百年と思しき立派な大木並木が続いている。

中尊寺の山門

ここは、月見坂という名の付いた参道らしいが、登り始めるとだんだんと勾配が急になっていくように感じられ、日頃の運動不足からハアハアと息が切れてしまう。
並んで歩いている爺ちゃん婆ちゃんもしっかり歩いている。息を切らしているのを覚られない様にしなければならない。・・・(^_^;
表参道を暫く登って行くと、やがて森が開けて素晴らしく眺望のいい東物見という場所に出てきた。
山を背にして180度の展望が開けいるが、その真ん中を北上川が威風堂々と流れている。眺めはすこぶるいい〜い!
その北上川に沿ってJR東北本線と国道4号線が平行に走り、その向こう側は広大な田んぼが延々と地平線まで続いている。人工物と人工の自然とが見事に調和した 「これぞ日本の田舎風景!」 って感じでしょう。
「順路 ⇒」 の案内に沿って進んでいくと、先ず最初に八幡堂があり、続いて東物見、弁慶堂、地蔵堂、薬師堂と見て廻ると中尊寺の本堂が見えてきた。
途中にちょうどタイミングよく(1年中やっているのかも知れないが)松尾芭蕉の奥の細道展というのをやっていて、ひなびた感じのする茅葺屋根の雰囲気のいい茶店も出ていた。
歩きながら女房と話していたんですが、ここまでで、既に1時間くらい経っている。あっちもこっちもパスして行くんでは、ただ寄っただけになってしまうんで、ここ平泉や厳美渓、前沢周辺はもう一度ゆっくり来よう!ということにしました。
旅のついでに寄ってみたというのではたいへん失礼ですし、他の大部分を見落として行く訳ですから、秋の三連休にでも是非ゆっくり来たいですね。 (^_^ゞ

奥の細道展


金色堂は、何処だ!

境内の「順路 ⇒」に従って更に歩いて行くと、「峯薬師堂 (目薬を売っていた)」、「不動堂」、「大日堂」、「鐘楼」、「阿弥陀堂」と、小さなお堂が順序よく見学出来るようになっている。
ここで、ハタっと思い出した。平泉に来たら是非見たいと思っていたあの「金色堂」はいったい何処にあるんだろう?キョロキョロ探していても分らないので、売店のおばさんに聞いてみた。
「金色堂」は、どうやら建物の中に保存してあるらしく、表からは直接見えなくなっているらしい。「讃衡蔵」という宝蔵と共に拝観料を払わないと見学出来ないそうだ。
どうりでキョロキョロしても、見えない訳ですね。まっ、折角来たんですから、拝観せずには帰れませんよね〜!
「讃衡蔵」という場所は、中尊寺にある阿弥陀如来や千手観音、経典や曼荼羅といった国宝や重要文化財の一部を一般に開放展示している唯一の場所で、一部といっても膨大な数があり、ゆっくり見ていると一時間では足りないという。
「讃衡蔵」の中を一通り見学すると、今度はその半券を持って更に奥に展示されている「金色堂」へ行かれる様な順路になっている。「金色堂」は風雪にさらされて腐食もひどく、火災の危険からも守るため、現在は一回り大きな建物の中に保存されているのだそうだ。
薄暗い廊下から建物の中に入ると、いきなり眩しい光と共に金色に輝くお堂が威風堂々と建っていた。近くに寄って良く見ると、やはり相当な年代を重ねているので、思ったより保存状態が悪い。
■■■ 金色堂 ■■■・・・説明のテープが聞こえてきた。
天治元年(1124年)中尊寺創建当時の造立で、皆金色の阿弥陀如来や四本の巻き柱や長押などは全て夜光貝のらでん細工、漆の蒔絵、透かし彫りの金具などで造られている。
中央に位置する本尊は阿弥陀如来、その前で蓮を持っているのが観音菩薩と勢至菩薩。左右に三体づつ円満な相好をした六地蔵、最前列は持国天と増長天、そして中央の須弥壇には初代藤原の清衡公、左の壇は二代基衡公、右の壇は三代秀衡公と泰衡公の首級が納められている。
金色に輝くお堂全体が全て一つの工芸品のような感がある。

芭蕉と共に

「金色堂」を見学してから「経蔵」写真の「旧覆堂(元金色堂の在った場所)」、「釈迦堂」、「能楽堂」、「西物見」、「資料館」と廻るとだいたい2時間半といったところで、しっかり歩かされますので、皆様、もしもこちらにおいでになる時は、しっかりとした靴を履いて来ることをお勧めします。
なにか大急ぎで一山歩いた様な気分になります。
ここで、平泉の歴史に関してもうちょっと詳しく知りたい!という人の為に以下に頂いた観光案内から抜粋してざっと記しておきますが、興味の無い方はどうぞ読み飛ばして下さい。
■■■ 平泉の歴史 ■■■
十一世紀中頃、前九年の役・後三年の役と呼ばれる大戦があり、その戦いに勝ったのが奥州の豪族、藤原氏初代の清衡です。以後、平泉に本拠地をおいた清衡が奥州地方の支配権を確立し、約百年の間、三代にわたってその栄華を極めました。
清衡は、戦いで失われた人命を弔い、仏国土を建設しようと多数の堂塔を建てました。
(清衡が建てた金色堂には今でも藤原四代の遺体が安置されているそうです。)
二代基衡は豊富な財力を元に政治を行い、毛越寺を建立し、清衡と同じくこの地方の豪族最高位に任命されました。陸奥の守にまで任ぜられた三代秀衡は、伽羅御所、柳の御所を含む区画整備を行い、都市としての平泉を完成させた人といわれています。
頼朝に追われた義経が秀衡のもとに身を寄せていましたが、中立を保ち続けた秀衡と違い、後を継いだ四代泰衡は頼朝の圧力に屈して義経を自殺に追い込んでしまいました。
しかし、頼朝は奥州を支配下におきたかった為、義経を匿った事を口実にして奥州征伐を強行し、藤原氏は滅んでしまいます。


PM 17:00  前沢町

すみません、最初のページからまた長くなってしまいました。・・・(^_^ゞ
という訳で、既に5時を過ぎてしまい、大急ぎで見学したつもりだったが、午後は中尊寺だけで終わってしまいました。
今夜は青森県の小川原湖畔でキャンプするつもりでしたが、栃木県から福島県に掛けての帰省渋滞で約半日ぐらいスケジュールがずれています。
「今日はもう何処かこの辺の温泉に入ってキャンプしてもいいね!」などといいつつ駐車場に戻り、先程の優しいお爺さんに聞いてみることにした。
「この辺で、この車が置けるような大きな駐車場の有る温泉はありませんか?」「あるよぅ〜・・・在るよ・・・なんだっけ・・・なんてたっけ・・・」と、名前は忘れてしまったが、ここから約10分、隣町にあるという町営の温泉を教えてくれた。
どうやら、ここへ来る時に下りたインターチェンジの少し先の方らしいが、最近出来たばっかりで、綺麗でとてもいい温泉だそうだ。駐車場も広いのでそこならキャンプしても大丈夫だろう?!ということだった。
中尊寺から先程のインターチェンジまで戻ってみると、なるほど気が付かなかったが小さな看板に 「舞鶴の湯はこちら ⇒」 と書いてある。案内に従って来た所は思っていたよりも大きな町営のスーパー銭湯だった。


前沢温泉「舞鶴の湯」

こういうタイプの温泉施設は最近あちこちに増えてきて、我々もキャンプの途中で便利に使わせてもらっているが、何処の建物も基本的に同じ様な造りになっている。
皆さん既によくご存知のこととは思いますが、温泉旅館によくあるようなの舞台付きの大宴会場みたいな大きな休憩所と小さな個室の休憩所が何室かある。
お風呂はジャグジー付きの大浴場と露天風呂、薬草風呂にサウナ風呂と、まあ至れり尽せりの温泉ランド(健康センター)みたいなタイプの公営施設である。

舞鶴の湯

利用料金はリーズナブルで、2時間以内が500円、4時間までが800円、一日中いても1000円となっている。
駐車場も写真にある場所に50台ぐらい、すぐ下にも50台ぐらい、そして一段上には今日のキャンプ予定地?としている草地の広い臨時駐車場がある。
この時期のこの時間帯にしてはすいているので、多分今日はもうこれ以上込み合う事は無いと思う。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今日のキャンプ予定地?も決まり、安心したせいか手足を伸ばしてゆったりと心安らぐひと時を過ごすことが出来た。
外に出ると正面で何か催し物をやっている。特設のテントの地元特産品の市場も冷やかして歩いたが、別に欲しい物もないようだ。日が暮れるまでにはまだ少し時間がありそうなので、まっ、とりあえずビールでも飲もうかとトレーラーに戻る事にした。
ここで、事件です!!冷蔵庫を開けた瞬間、なんか中があまり冷えていないような気がした。良く見ると冷蔵庫の火が消えている。前に廻ってガスボンベのメーターを見ると赤い「空」の表示になっている。
アチャ〜!そう、思い出した。出掛けに交換しようと満タンのボンベを用意して出しておいたが、交換するのを忘れていた。おまけに外の調理用に持っているボンベも殆ど空に近い。
まっ、それでも今夜一晩ぐらいは大丈夫と思うので、一応交換することはしたが、まだキャンプは始まったばかりなので、困ってしまった。
駐車場の前の特設テントでおばさんがイカやとうもろこしを焼いて売っていて先程から香ばしい匂いがしているが、ふと見るとプロパンガスのボンベが見える。よかった〜!プロパンガスの調達先を聞いてこよう。


PM 17:15  前沢町:日石の飯田商店と町の炭屋さん

今夜はこの温泉の駐車場でキャンプしようと思っていたが、思わぬトラブルに遭遇し、再度出発せざるを得なくなってしまった。イカ焼きのおばさんに聞いたところでは、ここから国道4号線に出て5分ぐらい走った所にある日石のガソリンスタンド「飯田商店!」で、プロパンも扱っているらしい。
そういえばカミさんの実家でもガソリンスタンドでプロパンガスを扱っていたことを思い出した。ちょうど燃料も半分を切っていたので給油がてら行ってみることにした。
先程のインターまで戻り、国道4号線に出るとすぐに 日石:飯田商店」と看板が見えてきた。大きなスタンドでよかった。トレーラーを引いていると田舎の小さなスタンドには入れないことが多いので、小さかったらどうしようと思っていた。
給油してもらいながら「5キロか8キロの小さいプロパンのボンベおいてますか?」と、早速聞いてみた。普段は扱っているが今日は日曜日なので給油のみの営業となっていて、ガスの方はお休みになっているそうだ。
そうか!残念?
今日はここいらでキャンプしてもいいので「明日来れば大丈夫ですか?」と、重ねて聞くと、聞いた方がうっかりしていた。スタンドは開いているが、ガスの担当者は15日迄お盆休みになっているそうだ。
しかし、この話はこれで終わった訳ではない。
この辺りの人は皆人情に厚く、観光客にとても親切に接してくれます。
東京なら商売敵の店など絶対に紹介したりしない筈ですが、なんと!近所でプロパンを扱っていそうな同業者を二軒ほど紹介してくれました。しかも詳しい地図まで書いてくれたのには涙が出るほど嬉しかったです。


岩手県人は、皆さん親切です。
教えてもらった旧街道は、小さいが古き良き時代の町並みになっている。
旧街道であるため商店街の道幅はとても狭い。交通量は少ないが長いトレーラを道に置いたら例え5分といえども2軒の商店の店先を完全に塞いでしまいそうだ。
紹介された一軒目はいわゆる昔からの炭屋さんで、店先に練炭や炭などが並んでいるのですぐに分かった。プロパンも扱っているみたいだが、家庭用だけのようで小売り出来るような小さなボンベの在庫は無く取り寄せになってしまうそうだ。
トレーラーの方を見て困った顔をしていると、「それじゃ〜ねぇ〜・・・お盆休みだからやっているかどうか分からないけどぅ〜、タクシーのガスもやってる所だから多分休んでないと思うよ!」と、ガスの充填所を教えてくれた。
こちらはその方が助かる。家にあるのを含めると、現在5キロを2本、8キロと10キロを各1本づつ持っている。
この際、緊急事態だからしょうがなくニューボトルを買うつもりでいたが、充填してくれる所が近くに有るならその方がいいし、置き場所も助かる。ここから10キロぐらい先だ!というので、だめで元々と向かう事にした。



PM 17:30  水沢市:水沢プロパン

水沢の町は、この前沢町のすぐ隣町で、約10キロ15分ぐらいといっていたが、私のミスの為にあっちに行って!こっちに行って!と訪ね歩いているので、そろそろカミさんの眉間に皺が入ってきている。
炭屋のおじさんが教えてくれた通り、約15分でガスの充填所らしきプラントが見えてきた。正面がタクシーのガス充填所になっていて、その奥の方に事務所が見える。事務所は明かりが点いていて何人か人の姿もある。「良かった〜!助かったね〜!」と女房に笑顔が戻った。
事務所をのぞくと、中にはアルバイトの店番らしき金髪のお兄ちゃんがいた。
「こんにちは〜!すいませんがボンベの充填お願いできますか〜!」と聞くと、「ちょっとお待ち下さい。」といい、と何やら携帯電話で話を始めた。
〜〜・待つ事・しばし・〜〜
お盆休みでコンピューターを止めているらしく、担当者を呼んでこない限りガスの充填は出来ないらしい。どうやらコンピューターの担当者の家へ電話してくれたみたいで、あいにく留守の様だった。
「だめですか〜!」と、・・・ 困った顔をしていると、また何処かへ電話している。
〜〜・待つ事・しばし・〜〜
「ちょっと待っていてくれるなら、仕事に出ている先輩が帰ってくるので、その人なら手作業で充填出来るかもしれない!」という。どうやら仕事に出ている先輩に連絡してくれたらしい。
〜〜・待つ事・しばし・〜〜
軽トラに乗って先輩といわれていた人が帰ってきた。
「キャンピングカーですか〜!ガス切れじゃお困りでしょう。すぐ詰めますからちょっとお待ち下さい。」
と言うと、プシューっと2本のボンベのバルブを開けながら奥へ歩いて行った先輩という人も、やっと20歳ぐらいの金髪のお兄ちゃんだった。

〜〜・待つ事・しばし・〜〜

随分待たされたように書いたが、5キロボンベを2本充填してもらい、税込みで¥4000円、安い!しかも仕事も早い!ものの15分ぐらいでボンベの充填が終わった。


PM 21:30 八戸自動車道:二戸PA (ちょっと疲れた二泊目)

ガスの充填をして貰うと何故か元気が出てきた。トラブルが解決すると気分も新たになるもんですね。「暗くなるまでまだあるよね!もう少し走ろうか〜!」と、PM 18:30 調子に乗って水沢インターから再び東北道に乗り直した。
江刺 ⇒ 花巻 ⇒ 盛岡と、順調に走ることが出来、安代JCTで東北道と分岐して八戸自動車道に入ると、我々の前後左右もう走っている車は殆どいなくなってしまった。
予定では、この先の終点八戸で下りて三沢の小川原湖まで行くつもりだったが、もうすっかり遅くなってしまったし、夕食もとらずにもう2時間半ぐらい走っているので「今日は、ここでいいね!」と、ちょうどあったPAでキャンプする事にした。
だ〜れも居ない!だ〜れも来ない!静かに眠れそうだ。お疲れ様でした。・・・(^_^)
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